77冊目『ふつうに学校にいくふつうの日』
- 作者: コリンマクノートン,きたむらさとし,Colin McNaughton,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 小峰書店
- 発売日: 2005/05
- メディア: 大型本
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「ふつうの男の子はふつうのことを考えていました。」
普通の男の子の前に普通じゃない先生が現れて、普通じゃないところへ連れて行ってくれるおはなし。ふつうになりたい。
モノクロの画面から始まるのは、男の子は既に毎日を普通のものと思っているから。一連の普通の朝の作業を終え、学校に行くとあたらしい先生、ミスターギーに出会う。ギーはとある音楽を聞かせ、それを聴いて思い浮かべた絵を実際に描く、という授業を行う。はじめは半信半疑だった男の子含む生徒も書いているうちに止まらなくなり……。
ここまで読んだだけだと、「なんかわりと普通だなあ」 と思っていた。自由な発想が良いとか想像力豊かな授業なんて、もはや児童文学においても普通。男の子にはこの想像は楽しく動いたようで、
「とにかく、いいたいことが多すぎるのです」
なんてなるのも、素敵だけれど普通。
素晴らしかったのはこのあと。じゃあ他の子たちはどうしたのか。
「巨人のお話をかいた子もいれば、手品のことをかいた子もいました。
ゆうかんな女の子のことをかいた子も、
おでこの稲妻形のきずについてかいた子もいました。
音楽をきいてもなんにも浮かばないので、
てきとうな話をでっちあげるだけの子もいたし、
ポーリン・クローフォードはマンガを読んでいました。
先生がよろこぶと思った話をかく子もいたし、
自分がヒーローになった子も悪者になった子もいれば、
なにもかもばからしい、と思った子もいたし、
ビリー・ピアソンは、いねむりをしていましたーー」
教育ならば一元的で男の子のような子が100点なのだろうけれど、ここは学校。「先生がよろこぶと思った話を書く子」はとても優秀で、だからこそ人に忌み嫌われることもあるだろう。しかしその全てが学校にあった。普通に学校にいく普通の日には、クリエイティブなこともバカみたいな話も、そんな普通なことだってたくさんあったのだ。
イラストではそのあたりからたくさんの色がつき始める。元々はじめからカラフルだった世界は、普通のことと普通じゃないことに気づくとぐんと彩を増す。
普通のことを無視して普通じゃないことなんて描けない。「あんたはあんたが見てるように見えてる」のだから。教育的な1冊でもあり、読んでいて気持ちのいい快作でもある。
「そして、ぜんぜんふつうじゃない夢をみたのです……」