2015年私的お気に入り絵本15選&総決算

 

年明けの瞬間も迫ってきた大晦日、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

さて、4月からはじめた絵本ブログという趣味も140冊を越え、いったんここで終了ということにさせていただきます。そこで140冊のなかから、これはおすすめ!という本を15冊選んでみました。ぜひ参考にしていただき、これからも続く絵本ライフをご堪能ください。

 

もったいぶっても仕方ないので1位から発表します。というか一応ランキングにはしてみましたが、この15冊に関してはどれを読んでも最高ですし、あなただけの思い出の1冊がそこにあればそれが一番だと思う次第です。僕の一番の1冊はこれでした。

 

1位『化鳥』 

絵本 化鳥

絵本 化鳥

 

 泉鏡花の作品を現代によみがえらせた絵本。これほどまでに“絵本”の形を正確に捉えた作品はもう生まれ得ないと思うし、自分が絵本に求めていた全てが詰まった1冊。

美しい絵とそれに繋がるストーリー。淡々と語っているようで実に多角的な物語は、老若男女誰の心も揺らしてくれると思う。

個人的にも今年は“鳥”という生き物に非常に縁があり、ラストに男の子を助けてくれる大きな鳥は自分の元にもいつか訪れた“愛情”なのだ。忘れていてもある日ふっと思い出す。

いつか大人になった彼らが、古い本棚やひきだしからふたたびこの本を手に取り、その人なりの受け止め方で『化鳥』を記憶してもらえたら、これに勝る悦びはありません。

 

 

2位『あかちゃんがわらうから』

 

あかちゃんがわらうから

あかちゃんがわらうから

 

すぐ近くにある光を忘れてしまわないように、暗く寂しいところでもがくお母さんたちに向けられて描かれた作品。ずっと心にしまっておきたい1冊になった。 

どしゃぶりのなかでうたい、がれきのなかで踊る子どもらは何も分かっていないのではなく、必要だから歌ったり踊ったり、笑うようにしているのだ。希望の形とはこういうものだと教えられたような気がした。出会えてよかったなあ。

「うれしいこと あるよ ここに ぜんぶ あるよ ここに ぜんぶ!

 

3位『ふたりはきょうも』

 

ふたりはきょうも (ミセスこどもの本)

ふたりはきょうも (ミセスこどもの本)

 

がまくんとかえるくんシリーズから1冊。最終巻でもある本作の最後のエピソード、『ひとりきり』が何度読み返しても狂おしいほど好き。

 「ぼくの した くだらない こと みんな ごめんね。ぼくの いった つまらないこと みんな ごめんね。おねがいだから また ともだちに なっておくれよ!」

「ぼくは うれしいんだよ。とても うれしいんだ。けさ めを さますと おひさまが てっていて、いい きもちだった。

じぶんが 1ぴきの かえるだ ということが、いい きもちだった。

そして きみという ともだちが いてね、それを おもって いい きもちだった。それで ひとりきりに なりたかったんだよ。なんで なにもかも みんな こんなに すばらしいのか その ことを かんがえてみたかったんだよ。」

青春映画のようなこの1コマを、初めて物語に触れる子どもに届けられること。これ以上ないほどの読書体験になると思う。最高。

 

4位『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』 

 この絵本趣味がそもそもうさこちゃんから始まったようなものなので、どの本を選ぼうかとても迷ったけれどこの作品に。シンプルなデザインは見易さを、そして奥深いストーリーは分かり易さを追求した本作。

「おとうさんが そこで

 みじかい おわかれの ことばを のべました。

 おばあちゃん ありがとう

 わたしたち みんなに よくしてくださって。

 うさこちゃんにも よくわかる ことばでした。」

死という未知のものに出会ったときの子ども心が、まるで本当の子どもが語っているように描かれる。そしてうさこちゃんには“誕生”のお話もたくさんあり、セットで読むと尚よい。読んでね。

 

5位『だいじょうぶカバくん』

だいじょうぶ カバくん (わくわくライブラリー)

だいじょうぶ カバくん (わくわくライブラリー)

 

 古典ばかりではなく今年刊行されたものにも面白いものはあるぞ。動物園から脱走したカバくんの自由と勇気のお話。表紙のとおり優しい顔したカバくんがとるとんちきな行動に笑わせられるも、最後はちょっとしんみり。自由とはどこにあるのだろう。バカにされがちな毎日だけれど、大丈夫だよカバくん。

くるりと回れ右をすると、どこへともなく、また歩き始めました。

 のそりのそり。ふるさとに帰る道はいつかだれかが教えてくれるだろうという、あわい希望をむねに。」

 

6位『つられたらたべちゃうぞおばけ』 

つられたらたべちゃうぞおばけ (絵本・こどものひろば)

つられたらたべちゃうぞおばけ (絵本・こどものひろば)

 

愉快の極みの1冊。なんなんだよお前、どういう存在なんだ。はい、つられたらたべちゃうぞおばけです。でもほんとに食べるわけじゃありません。 

ちょっと変わったお友達、ぐらいの奴なんだろうけれど、それ以外の時間はどうしてるのか心配。あとストーリーはもちろんのこと、大きく描かれたおばけや友達の顔がずっと愉快。こんなん好きに決まってるだろ。好きです。

「つられたらたべちゃうぞおばけは おかあさんと てをつないで とおくの おうちに かえって いきました。」

 

7位『どんなにきみがすきだかあててごらん』

どんなにきみがすきだかあててごらん (児童図書館・絵本の部屋)

どんなにきみがすきだかあててごらん (児童図書館・絵本の部屋)

 

 兎と月。好き、っていったいなんなのだろう。それはどんな形をしていて、どうすればよどみなく相手に伝わるのか。

「ぼくは、きみのこと、きみのつまさきのさきまで、すきだよ」

前の記事では「親子や兄弟ならこんな回りくどい表現必要ない」って書いたけど、今は親子みたいに“当たり前”の関係だからこそ伝わらないし伝えられないものもあるよなあと思うようになった。物語がその役割を果たしてくれるのなら。

「うん、それはとおくだ。うんととおくだ」

 

8位『きょうは、おおかみ』

きょうは、おおかみ

きょうは、おおかみ

  • 作者: キョウ・マクレア,イザベル・アーセノー,小島明子
  • 出版社/メーカー: きじとら出版
  • 発売日: 2015/03/13
  • メディア: 大型本
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 今年最後に読んだ絵本。反抗期の子どもを狼にたとえて、その子にとっての“完璧な場所”を目指す。あれ、これひょっとしてマッドマックスなのでは?緑の地?狼は輸血袋?

なんてことはさておきとてもよい本。空想の世界に逃げるのは決して悪いことなんかじゃない。朝目が覚めて、なんか不恰好だなあ、理想と違うなあなんて思うのもまたよし。逃げたって立ち向かったって日々は続いていくのだ。だから今日は、狼。

「おおかみはじゆうがすき、といったので、ふたりでひろいのはらをかいた。」

 

9位『どうするジョージ!』

どうするジョージ!

どうするジョージ!

 

 「自由とは欲望を満たすことではなく、欲望を捨ててこそ得られるもの。欲望にふりまわされている人は自由人とはいえない。」

ジョージに足りない我慢というやつにはこの言葉がふさわしい。ページをめくるたびその突飛な行動に驚かされるが、だからこそ応援したくなるそんな存在のジョージ。

えーー、たべちゃうのーーー!!??

は、ぜひ声にだして読んでみよう。百倍楽しくなることうけあい。

「ぼくはいつでもいいこだよ。いいこじゃなかったことなんてあったかな」

 

10位『カプチーヌ』

カプチーヌ (魔女のえほんシリーズ)

カプチーヌ (魔女のえほんシリーズ)

 

 今年読んだ絵本のなかで一番好きな画風だった。柔らかく、そして女の子が可愛い。女の子が可愛いのがいいと思いました。

物語も魔法を絡めたアリスチックな展開だったのだけれど、何より心を打たれたのがこの本が作者の娘に向けて作られた本であること。こんなに親馬鹿なことはないと思うが、それで面白い本が作れるのだからご愛嬌。

「もしかすると、もしかするとですが、カプチーヌも、みんなに愛されそんけいされる魔女に、なるかもしれません。」

 

11位『アライバル』

アライバル

アライバル

 

 絵本には文章もいらない、アートブックのような作品もある。アライバルは現時点で読める最高峰のそれだと思うのでもうみんな読むといいよ。

今年は絵本と映画を結びつけて考えることが多かったけれど、この作品は『トムアットザファーム』における「訪問者がその場所になじむまでの話」でもあるなあ。化け物造形がとにかく好みだったのでこのぬいぐるみならうちに欲しい。あとは掃除機を使う巨人も恐ろしくて好き。

 

12位『こわいわるいうさぎのはなし』

こわいわるいうさぎのおはなし (ピーターラビットの絵本 6)

こわいわるいうさぎのおはなし (ピーターラビットの絵本 6)

 

「これは、てっぽうをもった おとこのひとです。」

 

13位『まよいみちこさん』 

まよいみちこさん (にじいろえほん)

まよいみちこさん (にじいろえほん)

 

道にまよいまくるみちこさんをコミカルに描いた作品、のはずが迷って訪れる異世界の描写が心底怖い。そこの脱出方法もなんだかもやもやするし、なぜそんなホラー感を足したのか。でも総じて楽しい絵本。友達のアフロが気になる。

 「いつも おもうけど、ちずって あんまり やくに たたないものだよねえ。」

 

14位『まってる。』

まってる。

まってる。

  • 作者: デヴィッドカリ,セルジュブロック,Davide Cali,Serge Bloch,小山 薫堂
  • 出版社/メーカー: 千倉書房
  • 発売日: 2006/11/17
  • メディア: 大型本
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 絵本は形や読み方で遊ぶものも多くあり、この作品も実写で撮られた紐が作中のいろんな人々を繋いでくれるという変わった形をとっている。そう考えると絵本には“漫画的な進化”をしたものと“文芸的な進化”をしたものの二つがあるのだと思う。漫画ばかり読んできた十代もそう考えると無駄ではなかった。

「また春がくるのをまってる。」

 

15位『おやすみなさいをするまえに』 

おやすみなさいをするまえに

おやすみなさいをするまえに

 

ぎゃあああ可愛いいい……。

可愛いものをみると可愛いしか言葉が出てこなくなる女子がいますが今の僕がそうです。ありがとうございます。こんな可愛いものを生んでくれた世界に。異常。間違えた以上。

「きょうが おわると あしたが きます

 みんなを むかえる あたらしい あさが」

 

 

 

ということでした。みなさん楽しく読んでいただけたでしょうか。僕はとてもとても楽しかったですよ。

ブログという形をとって絵本を読むことは今年までにしますが、これからも絵本は読んでいこうと思っています。なぜなら絵本の最大の魅力は、読む側の変化に寄り添ってくれるところにあるからです。

来年にはここまで感動してきた絵本に全く心を動かされなくなるかもしれませんし、自分が馬鹿にしてきたものに心酔するかもしれません。でもそれでいいのです。今感じているものが嘘でなければ、あとになって思い返してもそれは間違いではないと。絵本に、ひいては“子どもに向けられたもの”から、自分はそう学びました。

ではまた来世で。

 

140冊目『きょうは、おおかみ』

 

きょうは、おおかみ

きょうは、おおかみ

  • 作者: キョウ・マクレア,イザベル・アーセノー,小島明子
  • 出版社/メーカー: きじとら出版
  • 発売日: 2015/03/13
  • メディア: 大型本
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「あるひ、いもうとのバージニアはめがさめると、おおかみみたいにむしゃくしゃしていた。おおかみみたいにぐるるる、がるるる。おおかみみたいなことをする。」

 

思春期(?)で狼のように凶暴になってしまった妹と、朗らかで自由な姉のおはなし。これでラスト。

 

長くやってきた今年の趣味も今作で最後。最後の一冊はとびきり素敵な思春期の話。めちゃくちゃよかった。

 

ある日突然狼のようになってしまった妹のバージニア。機嫌をとろうとしても上手くいかない。全部がうるさくて、全部が気持ちわるい。

「うれしそうな きいろい ふく、やなかんじ」

「はみがき しゃかしゃか うるさすぎ」

「ぴーぴーぴーぴー、なくんじゃない!」

周りに当り、わめき散らして、迷惑な狼。でもどうしようもないのだ。狼はひどく憂鬱だった。

「いえがしずむ。ひっくりかえって。ひかりがきえる。こころがかげる。」

 

バージニアのわめき声は本の中でも手書きのフォントで描かれ、そのキンキン響く叫声が耳に届いてくるよう。黒と黄色がぐちゃぐちゃに書かれたイラストも、思春期の脳内を覗いているような感覚になる。そんな妹を心から心配する姉のバネッサ。

「わたしもとなりによこになる。もうふをかぶってじっとだまって。

 ふかふかのまくらにふたりでしずむ。」

「なにかきっとあるはずよ。あかるいきもちになれること。」

バネッサはバージニアに提案してみるもなしのつぶて。ようやく口を開いたバージニアから、こんな言葉が聞けた。

「とんでいきたいのは、かんぺきなばしょ。クリームたっぷりのケーキがあって、きれいなおはながさいていて、いろんな木にのぼれて、ぜったいにかなしいきもちにならないところ」

 完璧な場所なんてどこにもない、と思っていたバネッサだったが、この一言をきっかけに、バージニアのため、完璧な場所、夢のブルームスベリーを描いてあげることに決めた。

「にわをかこう。

 いろんな木、ふしぎなキャンディーのはな、みどりのわかば、クリームたっぷりのケーキ。さやさやゆれるはっぱ。」

「このにわがブルームスベリー。バージニアのためのにわ。」

目を覚ましたバージニアははじめそれに気づかなかったが、だんだん目線があって二人はブルームスベリーで一緒に遊ぶ。

「おおかみはじゆうがすき、といったので、ふたりでひろいのはらをかいた。」

 

絵筆を置いたときには二人はいつもの姉妹に戻っていた。次の朝目覚めて、もう一度ブルームスベリーをみるとその不完全さに笑えてくる。

「おはなふにゃふにゃだねーーほんとだ。」

「木はぼうつきキャンディーみたいーーうん。」

「これじゃだめ?ーーううん、これでかんぺき。わたし、だいすき」

 

空想が人を救うことはこの一年、さまざまなおはなしを読み、自分で考えたうえで分かっていた。絵本はその象徴のようなものかもしれない。狼だったあの子は、寂しくて寂しくて吠えるばかりだったあの子は、その不完全な場所に自由をみつけた。

装丁も物語も素晴らしくて、まさに今年のしめくくりにぴったり。おすすめです。

 

バージニアはにっこりわらって、わたしのてをとった。」

 

139冊目『スワン―アンナ・パブロワのゆめ』

 

スワン―アンナ・パブロワのゆめ

スワン―アンナ・パブロワのゆめ

 

「このソリは、アンナをいったい どこへつれていってくれるのでしょう?」

 

実在のバレエダンサー、アンナ・パブロワの生涯をつづったおはなし。結局どの能力を‘才能’というのか。

 

MOEの作品紹介に載っていて気になり読んだ。クラシックバレエはまだ一度も観たことはないが、これは自分も見てきた‘芸事’の世界だ。

 

ロシアの西、冬の長い地域で生まれたアンナはある日、母親に連れられて劇場にいく。そこで出会ったバレエにすっかり心を奪われたアンナは、言いようもない衝動にかられた。

「足がもぞもぞとうごきはじめ、からだじゅうがうずうずしはじめたのです。」

まさに初期衝動。アンナはじっとしていられなくなって、親の手伝い中も遊んでいるときもくるくるくるくる、踊りともいえない揺らぎを自分に持つようになった。

バレエ学校にもいってみたアンナだったが、体の小ささと華奢さから門前払いをくらい、またひっそりと踊り続ける毎日。

ここで不思議なのが、読んだあとアンナパブロワで検索するとこの華奢な体を「恵まれたからだ」と書いている記述が多くあったが、この本では真逆のことが描かれている。

「その時代のバレエダンサーは、がっしりとした、たくましい体つきをしていました。」

「その弱弱しい背中と、甲高の足では、トゥシューズで立ち続けることはむずかしかったのです。」

時代によって‘才能’の捉えられ方は違うし、当時はこちらの解釈が正しかったように思える。アンナはその体でバレエダンサーとして大成し、のちにそれを‘才能’と呼ぶ人が現れたのではないか。そんな風に思った。

「アンナは、バレエをおどるために 生まれてきたのです。」

 

その後すっかりスターになったアンナだったが、脳裏にはいつも子ども時代の自分がいた。恵まれず、寒い思いをしながらも、内に眠る衝動と戦っている子ども。アンナは旅にでて、世界各国のいろんな立場の人にバレエを舞った。

「だれもがアンナのおどりをみて感動し、生きるための勇気をもらったのでした。」

色んな演目をやったアンナだったが、アンナの代名詞になるほどよくやったのが『ひんしの白鳥』という曲だった。その白い鳥のように、アンナの命も終わりを迎える。

「アンナの願いはただひとつ、いつまでもおどりつづけることでした。」

 

雪の白と白い鳥の白、儚さと美しさを併せ持ったそれらが踊るように彩られた本。とてもいい一冊だった。実在の偉人伝としても面白く、一度そんな夢のような光景をみてみたいなと思った。 

 

「どこかから、あたたかいはくしゅがきこえてくるわ。

 ああ……なんてしあわせなのかしら」

 

138冊目『たべもんどう』

 

たべもんどう

たべもんどう

 

「いまから ぼくたち もんだい だすよ ぜんぶ こたえられるかな?」 

 

食べ物たちが出すクイズに答えていくおはなし。ムッシュかまやつTシャツが気になる。

 

クイズそのものも楽しいけれど、今作の魅力はそのリズミカルな文章にあると思う。

「きゅうきゅうきゅうりのきゅうきゅうしゃ」

「ころころコロッケそろってごろね そろそろおこしていいころね」

果てはクイズもだんだん文章によってきて、

「かぶが ぶり がぶり

 つっかえないで れんぞく10かい いえるかな?」

などと絵がある必要のない問題ばかりになってくる。しかしその絵もとても魅力的で、蕪の寿司職人が大きなブリをがぶりと食べているさまは非常に間抜けで面白い。

 

「もじゃもじゃがいももじゃがいも なにをするにもけがじゃまいも」

「まいったまいたけまたまけた またいけまいたけ たまたまいまだけ まけただけ」

これは早口言葉ゾーン。もじゃもじゃのじゃがいもは表紙のようにおどけた顔をこちらに見せている。

「はんふらこし とうばーい えびもろぐ

 ぼくたち3にんごちゃまぜだ ほんとはだれだか わかるかな?」

では三つの食べ物たちがバラバラになって組み合わされている。はんふらこし、とうばーい、でなんかアニラジの挨拶のようである。

 

「もち!パン!チョコ!のり!ハム!とうふ!」

勢い!!仲間はずれがどいつかという問題なんだけどいやそんなことより勢い!無駄にキメている食べ物たちの顔もいい。ちなみに正解は形が丸いハムでした。きり方の問題!!

 

てな感じで声に出して読むと更に面白く読めること受けあい。問題は真剣に取り組んでもいいし、無視してしまってもいい。最後の夕日バックの食べ物たちまで、この食べ物はご馳走だ。ごちそうさまでした。

 

「もんだい ぜんぶ わかったかい

 こんど きみと あうときは いつか どこかの しょくたくで」

 

137冊目『百年の家』

 

百年の家 (講談社の翻訳絵本)

百年の家 (講談社の翻訳絵本)

 

「この本は、古い丘にはじまり、二十世紀を生きることになった、わたしのものがたりである。」

 

二十世紀を人々とともに生きた家の、盛衰と続く命の物語。正確には350年の家。

 

こんな形の絵本もあるんだなあと思うと同時に、これはまさに絵本のことのようだなと思ったりもした。世相を反映しながらも変わらない場所であり続ける家。

 

「もうずっと、ただの廃屋だったわたしを、やっと見つけてくれたのは、子どもたちだった。」

年代と文章、大きな見開きの絵で構成されたこの本にはめくるたび変化がある。もちろん物語であるかぎり変わるのは当然なのだけれど、同じ場所、同じ家が時を経るごとに変わっていくさまは非常に美しい。この家は幸福で包まれていた。戦争が始まるまでは。

「丘の娘は、じぶんで、じぶんの未来をえらんだ。」

 

「みんなが無邪気でいられた時間は、すてきだった。でも、短かった。」

家族も増えて大きくなった家の屋根に雪が積もる。辛く厳しい冬ほど長い。人々は貧しくなり、伝染病がはやり、それでも家はそこにあり続けた。住むところさえなくなってしまえば、人は何に希望を持てばいいのか。

「心をなくした家は、露のない花のようなものだ。」

 

冬が明けてもすぐに太陽がさすわけではないが、百年も同じところにいたら冬も春も夏だって秋だってある。変化する時代の中で、家はそこにあり続けた。そして世代交代が訪れる。

「この家がわたしだ。けれども、わたしはもうだれの家でもない。

 運命をたどってきたわたしの旅の終わりも、もうすぐだ。」

 

色んな絵本があって、色んな物語があってもいいが、単純に嗜好の問題でいうと全ての物語はハッピーエンドがいい。この本は辛く厳しい現実を描いているが、ラストは気持ちのいい大空が広がる。そこには変わりゆくものの肯定がある。

最後の文章がとてもいい。何も全てから守り通すことが本当に護るということではないらしい。よい本。

 

「けれども、常に、私はわが身に感じている。

 なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。」

 

136冊目『ぬすまれた月』

 

ぬすまれた月 (レインボーえほん (3))

ぬすまれた月 (レインボーえほん (3))

 

「どこの国でも<月>はきれいなことば。」

 

盗まれた月が世界中をめぐり再び空に戻るまでのおはなし。ルナルナ。

 

和田誠さんが昔一人で描いた作品を、プラネタリウムの上映のために新たに再構成して作りあげられた絵本。 表紙の大きな手と大きな魚も、最後まで読むと新しい味わいがある。

 

「月はたくさんの伝説、たくさんの物語、たくさんの詩やうたをもっている。」

赤字で書かれる月の解説(プラネタリウムの際、映像を流しながら読まれたのだと思う)と黒字の月の物語が交互に読める構成。始めは赤字で月に浮かぶ模様や、世界の人々が月をなんと呼んでいるかというもの。興味深く読み進めると、8ページ目から物語がスタート。

月が大好きだった男は、ある日月をとってこようと決心する。ながいながいはしごを作り、遂には月の高さにまで到達する。男は持って帰った月を大切に箱へしまい、ときどき眺める毎日を送っていた。

「月は毎日かたちをかえる。男はそれをみるのがたのしかった。」

 

ある晩、男が大事そうに箱を眺めていたのをみていた泥棒が、箱ごとそれを盗んでいった。しかし中身はからっぽ。がっかりして泥棒は箱をすてる。その日は新月で、月の姿は人に見えなくなっていたのだ。

そしてページを開くと「どうして月は満ちたり欠けたりするのか」の赤字。これはプラネタリウムをみている子どもたちはわくわくがとまらないだろうなあ。めちゃくちゃ面白い仕掛け。更に物語は続き、細い三日月になった月を拾ったのは音楽の心得のある女性。三日月で竪琴をつくりすばらしい音楽を奏でる。しかしその竪琴も、時が経てば半月になり壊れてしまった。女性はヒステリーを起こして海に月を海に捨てる。そしてその次のページには「海の満ち引きと月の引力の関連性」について語るのだ。

これはすごいなあ。知識と物語のシンクロが美しい。教育絵本というのはあまり好きではないが、これだと楽しく知識が覚えられそうだ。

「ほんとうのことはまだだれにもわかっていない。」

 

そして最後は月をめぐる国同士の争いを、子どもたちが解決して月を大空へ戻す。聞くとこのお話の最初の形が出来たころ、世界は冷戦の真っ只中。ここで描かれる国の争いもそれを反映して作られたものらしい。あとがきで作者の和田誠はこう語っている。

「冷戦は過去のものになったけれど、今なおあちこちで戦争や危険な状態が続いています。本が復活するのはうれしいことですが、この物語が古くなっていないとすれば、困ったことでもあるのです。」

物語が古くなるというのは悲しいことでもあるが、戦争という人間が当たり前のように行ってきた“愚行”はなかなか古くならない。「困ったこと」という言い回しに和田さんのユーモアと辛らつさが伺える。

 

ぶっ飛んだお話ではあるもののその実像と一緒に捉えることで不思議な説得力を持ち、最後には大人の争いを子どもたちが台無しにすることで平和な世界を取り戻す。素晴らしい教育画劇だと思う。プラネタリウム、どこかで再演したりしてないのだろうか。面白かった。

 

「空をみあげよう。ほら、今夜も月が出ている。」

 

135冊目『となりのせきのますだくん』

 

となりのせきの ますだくん (えほんとなかよし)

となりのせきの ますだくん (えほんとなかよし)

 

「となりのせきのますだくんは つくえにせんをひいて

 ここからでたら ぶつぞって にらむの」 

 

女の子の隣の席に座る、怪獣のような(見た目の話ではない)男の子のますだくんのおはなし。表紙と中の絵で色合いが違うのは背景色にあわせてかな。

 

MOEのベストセラー絵本特集から気になって読んだ。同世代の人が「この絵本は知ってます」といっていたので有名な絵本なのだと思う。思う、というのは、自分にはあまりその記憶がないからだ。というわけで初見だったのだけれど、とてもいい絵本だった。どちらかというと漫画の手法に近い気もするが。

 

「あたし きょう がっこうへ いけない きがする。」

不安を抱えたまま朝を迎えた主人公の女の子。朝の準備をお母さんの手前するも、ずっとこんなことを考えている。

「あたまがいたいきがする。おなかがいたいきがする。ねつがあるようなきがする。」

「あたまがいたくなればいいのに。おなかがいたくなればいいのに。ねつがでればいいのに。」

不安の種は学校で隣の席に座るますだくん。ますだくんは乱暴で自分勝手で、女の子からみたらまるで怪獣のようにみえる。ということでこの本ではますだくんは怪獣として描かれている。

「けしごむのかすが はみだしたら いすをけるの。」

昨日ますだくんにされた嫌なことをこちらに報告してくる枠外の女の子がかわいい。

ますだくんは女の子が困っているとすかさずいじめてきたり馬鹿にして笑ったりする。自分のことは棚に上げて、女の子の弱点ばかり責める。典型的な“好きな子に優しくできない男の子”だと思う。これはあれだなあ。ひょっとすると理解できないやつかもしれない。自分の小学生時代を思い出してみてもこんな感じの奴はクラスにいて、まあ嫌いだったもんなあ。ますだくんはチャーミングだけれど本当のこいつらには好感が持てない気がする。

「どうしても、っていうならおしえてやってもいいぜ」

「いい。いじめるから。」

「へたくそのくせにえばんなよなー」

といいながらますだくんは女の子をぶつ。思い出しながら女の子も目を伏せる。そして昨日、決定的な事件があった。女の子が大事にしているピンクのえんぴつを、ますだくんが折ってしまったのだ。これにはつい反撃をしてしまう女の子。それにびっくりするますだくん。

「あわててかえったけど きょう がっこうへいったら あたし ぶたれるんだ。」

 

「やだな」

 

ますだくんとの決着はある謝罪によって訪れる。絵本のなかの女の子が、その決着を迎えてくれてよかった。自分にはこのお話は「あんなこともあったねえ」であたたかく思えるものではなく、まだ自分に残る苦い記憶がよみがえるものだったから。

作者の空白の描き方や枠線の使い方が絶妙で、誰が読んでも感情を震わせることができる。最後、怪獣だったますだくんは普通の男の子になって女の子の手を繋いでくれた。それだけで胸がすくものがある。読んでよかった。

 

追記。まあ別にどうでもいいのだけれど、作者紹介に書かれている「天性の絵本作家であり、今後が大いに期待される。」との一文がすごくきになった。なんだろう、編集とばちばちの喧嘩でもしたのか、そうでないとこんな嫌がらせみたいな文章書かれないと思うんだが。そう思う自分が卑屈なだけかもしれない。

 

「かえりにたしざんおしえてやろうかー」「いい。いじめるから。」