137冊目『百年の家』
- 作者: J.パトリック・ルイス,ロベルト・インノチェンティ,長田弘
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/03/11
- メディア: 単行本
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「この本は、古い丘にはじまり、二十世紀を生きることになった、わたしのものがたりである。」
二十世紀を人々とともに生きた家の、盛衰と続く命の物語。正確には350年の家。
こんな形の絵本もあるんだなあと思うと同時に、これはまさに絵本のことのようだなと思ったりもした。世相を反映しながらも変わらない場所であり続ける家。
「もうずっと、ただの廃屋だったわたしを、やっと見つけてくれたのは、子どもたちだった。」
年代と文章、大きな見開きの絵で構成されたこの本にはめくるたび変化がある。もちろん物語であるかぎり変わるのは当然なのだけれど、同じ場所、同じ家が時を経るごとに変わっていくさまは非常に美しい。この家は幸福で包まれていた。戦争が始まるまでは。
「丘の娘は、じぶんで、じぶんの未来をえらんだ。」
「みんなが無邪気でいられた時間は、すてきだった。でも、短かった。」
家族も増えて大きくなった家の屋根に雪が積もる。辛く厳しい冬ほど長い。人々は貧しくなり、伝染病がはやり、それでも家はそこにあり続けた。住むところさえなくなってしまえば、人は何に希望を持てばいいのか。
「心をなくした家は、露のない花のようなものだ。」
冬が明けてもすぐに太陽がさすわけではないが、百年も同じところにいたら冬も春も夏だって秋だってある。変化する時代の中で、家はそこにあり続けた。そして世代交代が訪れる。
「この家がわたしだ。けれども、わたしはもうだれの家でもない。
運命をたどってきたわたしの旅の終わりも、もうすぐだ。」
色んな絵本があって、色んな物語があってもいいが、単純に嗜好の問題でいうと全ての物語はハッピーエンドがいい。この本は辛く厳しい現実を描いているが、ラストは気持ちのいい大空が広がる。そこには変わりゆくものの肯定がある。
最後の文章がとてもいい。何も全てから守り通すことが本当に護るということではないらしい。よい本。
「けれども、常に、私はわが身に感じている。
なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。」