104冊目『パパとわたし』
「もういないけれど パパに」
パパと娘の難しい交流を、左は娘から見た絵、右は大人から見た真実で描くおはなし。切ないけれど、ときどきね。
「ときどきね パパと いっしょに いたくなる」
「だけど パパは わたしと いたくない ときもある」
その逆の日もある。そして、“いたい”が重なる日、二人は一緒にいたくなる。
左のページは娘の気持ちとその日の絵日記のようなものが描かれる。そして右には、あえて暗い色合いで描かれた、パパと娘の姿。
「いっしょなら しりたいことを パパに きける」
「きかなくても パパがおしえてくれる こともある」
屋根の上で猫が交尾をしているのを親子二人でみるのは辛かろう。パパは黙っているが、パパが黙っていることで娘にはなにか伝わってしまう。同じように、牛頭の骨が残っている広場から、娘はたくさんの牛がいた広場を想像し絵にする。言葉にしなくても、二人一緒にいることが“喋る”ことにもなるのだ。
「ときどきね いっしょにいるのに どちらも なにも いわないの」
「なんにも」
「ずっと」
一緒にいる二人は、何にもいわずにずっと海を見る。娘の引いた線が、大きな海に繋がっていく一枚がとても美しい。
パパと娘は、この二人でしか伝わらないものを互いに教えあい、毎日の中で共有していく。特別な関係だ。
「いっしょに みつけたものに ふたりで なまえを つける こともある」
親の無尽蔵の愛よりも、過ごしていくごとに募るものを描く。互いに向きあい、たまにそっぽを向き、ときどき大事なことを話す。理想的な親子の姿だ。“大人”であるうちは、そうありたいと強く思える一冊。
「ときどきね」