97冊目『馬鹿図鑑』
「ロマンティックはこの場合、ないの。」
さまざまな馬鹿への考察を、馬鹿として論じてみるおはなし。馬鹿にむなしい。
3つのチャプターにわかれているこの本。1ではいろいろな馬鹿の紹介、2では馬鹿の日常、3では馬鹿の生態系を描いている。3のなかにある一説、
「馬鹿はときどき哲学します。馬鹿について考えます。馬鹿が馬鹿について考えるわけです。あまり期待は持てません。」
がこの1冊をあらわしていると思う。
つまり馬鹿とは(この上段から語る感じがもっとも馬鹿)、人間社会に生きる人全てがそうなのだろう。人が人を下に見る言葉が「馬鹿」だとして、誰しもが誰かのことを下に見ている。下にみることで自分を保ったり、何か説教じみた物語を思いついたりする。
『恋愛視角化現象』という漫画で自分が一番大事にしている言葉を思い出した。
「伊達さんが見下している“周り”は、伊達さんが思うほどバカではないし、見下されたらその分だけ見下し返してるんだよ」
あなたが見下している人の数だけ馬鹿がいるし、これは馬鹿図鑑ではなく人図鑑だ。そんなことを感じた。
楽しいところの多いのはチャプター1。
「はっきりズレている、でもそのズレ方に法則性も規則性もないので、そこが不安、という馬鹿。加えて、それは当人にとって中心がズレるのだから、そのズレに自覚がとぼしいというタイプの馬鹿。」
「すべてに対して疑問を持つのはよいことだ、という無謀な初等教育をしっかり受けた結果、はてな、はてな、でずっとやっていればお茶は濁せると高をくくっている馬鹿。この馬鹿、あくまで成人。」
いるなあこういう人。特に成人したのに疑問だらけの馬鹿はいます。僕です。
せめて馬鹿に自覚的でいようと思うけれど、そんな馬鹿の紹介もされている図鑑。
「ダメダメダメ、とにかくダメ。ダメといっておけばとりあえず、己のダメは露呈しないということを馬鹿なりに知っている馬鹿。」
「わたしはいったいだあれ?わたしの居場所はどこ?そしてみんなはどこへいってしまったんだろう?
などなどと、ちょっとした文学的テーマを抱え込んでいるノリで楽しんでいる馬鹿。ま、単なるはぐれ馬鹿。」
楽しく読めるけれども、自分の行動を振り返って少しだけしゅんとしてしまうタイプの本。そんな様子も馬鹿。馬鹿を受け入れることもない。馬鹿だなあと思うだけ。
「馬鹿は探究心が旺盛です。まだ見ぬ新たな馬鹿を求めて、また出発です。わーい。」