109冊目『猫とねずみのともぐらし』

 

猫とねずみのともぐらし (おはなしのたからばこ)

猫とねずみのともぐらし (おはなしのたからばこ)

 

「ねずみは燃えるような目で猫をにらんでおりました。教会の屋根に十字架がそびえておりました。」

 

猫とねずみが追いかけっこをするようになった理由を、たくさんの童話の登場人物とともに振り返るおはなし。いま忙しい。

 

本屋で見つけ「町田康、絵本もだしてたのか」と気になったので読んでみた。ミュージシャンと絵本ってのは相性がいいのかもしれないなあ。そして結構な確立で面白いものを書く。これも相当良かった。

 

ある日、などのわかりやすい前置きもなしに、ねずみがひたすら怒っている。目を真っ赤にして、どうするつもりだと感情をあらわにしている。猫が、ねずみとともに食べるはずだった冬の食料である脂を、一人で全て食べてしまったのだ。そのことが分かったのはもう冬に入ってから。ねずみと猫のともぐらしは、いきなり崩壊の危機にぶちあたった。

「猫は、教会の屋根の十字架がのしかかってくるようだ、と思いました。」

 

そんな修羅場の二人の前を、白馬に乗った王子様が通り過ぎる。猫は、王子様ならこんな貧しく不憫なわたしたちに、たべものを恵んでくれるのではないかと思い立つ。声をかけてみるも王子様はばさりとこういう。

「それは困ったことだね。しかし、私は王女を探しにいかなければならない。急いでいるんだ。こうしている間にも王女は魔法使いに酷いめにあわされているかも知れないから。このあたりには魔法使いが実におおいからね。では御免」

 

次にその王女様が通り過ぎるも、再び「急いでいるから」と断られる。このあたりの描写が非常にユニークで面白く、何作か読んできた町田作品っぽいなあと思う。その後赤頭巾やヘンゼルとグレーテルも現れるがすべて猫とねずみを無視。しまいにはマリアさまも現れ猫とねずみは歓喜するが、

「いま忙しい」

の一言で森のほうへと消えていった。

「だめかー」

 

そんな二人の前に魔法使いが現れる。二人は「もう駄目だ。かなしい一生だった。」と諦めるが、この魔法使いは実はいい魔法使い。二人のことを助けてくれるという。先ほどまで通り過ぎていった「いい人たち」が全く猫とねずみに関心を示さなかったのに、一般的に「わるい人」とされる魔法使いは猫とねずみにかかわってくれた。なるほど、こんな逸話か。

と思うじゃない。物語はそう都合よくいかないものです。

魔法使いは新米の魔法使いで、「二人を王子様とお姫様にしてあげる」といい(そもそもこの魔法の意味がわからない。素直にたべものを出してくれればいいのに)、ほいほいと呪文を唱えると、猫はねずみに、ねずみは猫に姿を変えられてしまった。人格入れ替わりである。たまごっつんだ。もしくは俺があいつであいつが俺で。

「魔法使いは、『へへへ、失敗しちゃった』と照れ笑いを浮かべたかと思うと、恥ずかしくなったのか森のほうへと戻っていってしまいました。」

 

そうしてねずみはずっと猫で、猫はずっとねずみのまま。

「いまでも猫はねずみを見ると、『おまえのせいでこうなったじゃないかー』と怒って追いかけます。ねずみは、『ごめん、ごめん』と、へらへら笑いながら逃げていきます。」

というお話。関係を反転させただけでとても愉快な追いかけっこになった。

面白かったなあ。絵は全面が青の色彩に、だいぶん間抜けな猫とねずみが映える。最後、追いかけっこが続く道が細くなっていって終わるのも本のお話が現実に繋がっていくようでよかった。目的外のこともちょっとは楽しめるようにしたい。

「はやく魔法がとけるといいですね。」 

 

「いつとけるかはわかりませんけれども。」