108冊目『算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし』

 

算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし 算数障害を知ってますか?

算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし 算数障害を知ってますか?

 

「せいこうへのドアは しまったままだ。だっていまぼくは“計算”が、ぜんぜんできないから。」 

 

算数障害を持つ男の子が自分の才能に気づかされるまでのおはなし。

 

時間をかければどんな問題も解けるのに、制限時間のある計算問題がどうしてもできないマックス。タイマーが入れられると、分かっていたはずの問題まで分からなくなり、

「あたまもこころもフリーズしちゃう!」。

 

そんなマックスの自己評価はどうしても低くなる。自分はなんにもできない子なんじゃないか、地獄に落ちるのではないか。小学校という場では周りからのプレッシャーも存在し、更にマックスは追い詰められていく。

「ぼくをいじめることで、じぶんがえらくなったとでも おもってんのか?」

このあたりのおいつめられ具合が、後に救われることが分かっていても心の奥深くに刺さる。ママのいう発言もちょっとアレだと思うし、自分が駄目なのは自分が努力してないからじゃないかという妄想(もちろん今となっては、そういう点もあったのかもしれない)にとらわれて、どこにもいけなくなってくるのは、まさに自分の幼少時代を思い出す。

「ぼくにがっかりしているのは、ぼくじしんだ。」

 

でもマックスには算数の才能があった。

「おぼえてとくような計算問題はにがてでも、数の概念を理解し、ぶんせきして、はんだんするのはとくいという人もいます」

先生は嬉しそうにそう伝え、マックスを数学オリンピックの選手に誘う。

「こどもが計算につまづいていたら、ひたすら九九を言わせ、プリント問題をやらせる。こういった従来の指導では学べない子がいることを知ってください。」

 

ザ・アメリカ的な絵のほほえましさと、お話の深刻さ、難しさのバランスがとてもいい。同じ作者でADHDの本もあるようなのでそちらも読んでみたいなあ。

アインシュタインは自分の家の電話番号と住所が覚えられなかったらしい、なんてお話もあるように、天才と言われる人は状況において出来ることと出来ないことがある。“みんな”が出来ることが出来ないからといって、その子の能力が人より劣っているわけではない。と、思いたい。凡人の出来ない側だった自分だからこそ、そう思う。

今日も出来ない側に立っているが、それなりにたのしい。

 

「タイマーはなし、な!」