『干物妹うまるちゃん』のなにが(本当にマジで俺がみる限り)すごいのか語る
お久しぶりです。はらひろです。久しぶりにこちらのブログに文章を投稿するのは他でもありません。みなさんは、
『干物妹うまるちゃん』のなにがそんなにすごいのか、分かってなさ過ぎる。
『干物妹うまるちゃん』とはみなさんご存知ヤングジャンプで大好評連載中の漫画であり先日最新刊となる第3巻が発売されたばかりの今をときめく大ヒットコミックです。去年、私が個人的感情のみで選んだ「このマンガが(おれのなかでは)すごい!」では一位に選ばせてもいただきました。そこから今に至るまで、大好きな漫画なのですが、この作品を人に勧めたときの反応がみな一様に
「うまるちゃん可愛いよねー」
「なにも考えずに読めるからいいねー」
と、まるでうまるちゃんがお気楽萌え漫画みたいな発言をされる。もちろんうまるの可愛さはこの作品の看板ですし、なにも考えなくても読めるというのは現代のたくさんのジャンルが展開される少年漫画界でも数少ない美点のひとつに違いありません。
しかし、うまるちゃんの本当のすごさ、すさまじさはまた別のところにある。今日は少しでも皆さんにうまるちゃんの、果てはサンカクヘッド先生の魅力が伝わるよう、こちらにて解説をさせていただきたいと思います。
①『干物妹うまるちゃん』がヤングジャンプ読者に受けるワケ
うまるちゃんは数多くの雑誌で漫画を描いてきた若手のホープ、サンカクヘッド先生が生み出した究極のキャラ爆弾、というのは周知の事実だと思うのですが、それにしてもこのYJ読者層に支持され2巻にして早くも20万部突破、商品展開もされているのはなぜなのか。
これは簡単に言ってしまえば「読者に受けるために作られた漫画だから」ということに他なりません。単行本のあとがきにも書かれているとおり、何度も編集部とともに読み切りをつくり、アンケートを反映し、読者に対して体当たりで挑んできた結果、今皆さんのもとにある連載のうまるちゃんが出来上がったのです。単行本にはプロトタイプうまるちゃんも載っていますのでそちらをご覧いただきたいのですが、このうまるちゃんはたとえばタイヘイの口が悪い→あまり仲がよくないのでは?だったり、ナレーションがうまるに冷たかったり、何より家でのうまるがあまりにも面倒なやつすぎる、といった特徴があります。これはギャグ漫画としてははじけていていいのかもしれませんが、うまるちゃんの完成形は果たしてギャグ漫画なのかどうか。ここは編集部、サンカク先生両氏ともたいへん悩まれたことだと思います。
うまるちゃんは時間をかけ手間をかけ、練りに練ったうえで大ヒットを計画されて出来上がった作品なのです。本当に、大ヒットして良かった。
②『干物妹うまるちゃん』が2巻で広げだした世界
うまるちゃんの転機は2巻にあります。それまで集英社とサンカクヘッド先生ががっぷりよつでつくりだしてきた、部屋のなかと外のうまるの世界に、新たに二つの変化が訪れるのです。
一つ目の変化は本場切絵という「内のうまる(こまる)」を知る存在の登場です。
ここで改めてうまるちゃんというキャラクターがどんな存在なのかを説明しておくと、外(学校や近所での対外的な関係)と内(家で一人、もしくは兄のタイヘイだけに見せる内向的、極めてドメスティックな関係)の二つの性質を、女子高生にして使い分けているという生成の段階で濃い感じの子です。このうまるちゃんに、外でのうまるも内でのうまるも両方を認知している存在(お兄ちゃん以外の!)が切絵です。
一巻まではこの外と内のうまるが完全に分化していたのが、ここでうまる自身、その境界に多少の揺らぎが見え始めるのです。
そしてさらに二つ目の変化。パーフェクトに分別を図っていたうまるは少し世間にうとく、また外伝にて描かれる幼少期では部屋にこもりきり兄の庇護を受けて育っていたといったところも描かれるのです。が、21話「うまると深夜のコンビニ」にて、うまるは意識して兄の庇護下からはずれ、深夜に自分の欲を満たすためとはいえ外の世界に飛び出し、そして深夜の街頭のなか、うまるちゃんは内でのうまるちゃんの体型(二頭身)になって、こうつぶやきます。
「いつもお兄ちゃんや海老名ちゃんと歩く道路なのに、なんかぜんぜん違う道みたい」
「みんな息を止めてるみたいに静かだなあ」
「起きてる人は何やってるんだろう」
「夜の街灯はなんで青いのかな?」
うまるちゃんは自分の二面性も、その狭く区切られた世界からも、ゆっくりゆっくりとですが変わろうと、世界を広げていきます。この点でいうと去年の末に公開された山下監督の大傑作『もらとりあむタマ子』にも、同じ美しさを感じるのですが、まあこれはまたあとで。
③終わってしまったあとかもしれない関係の中で
さて、ここまで話しているとこの漫画にはうまるちゃんとタイヘイ、あと切絵くらいしか出てきていないようですが、コミックスでまとめて読むと意外にもキャラ数は多いということに気づくと思います。3巻の人物紹介から参照いたしますと、外うまる、家うまる、タイヘイ、海老名、切絵、橘、ぼんば、アレックス、叶、UMR、以上10キャラ(正確には8人)。このうちほぼ毎回登場するのはうまると兄のタイヘイくらいで、他はなかなか出てこないやつらも。
僕はこの作品は兄と妹の距離感、そして妹、うまると世界との距離をつめていくことがテーマになっているのだろうと勝手に思っています。それは二巻でのうまるの変化、合間合間にはさまれる過去の話からの推察なのですが、一方で最新刊では‘未来’のことも示唆されるようになってきました。
今のままゆっくりうまるが大人になり、タイヘイとの関係がそれほど濃密なものでなくなってしまった未来。こちらを読者に見せているのが1巻でも高校時代のタイヘイの隣にいた叶の存在と、3巻47話にて初登場した、兄妹の母親の2人です。
叶は現在タイヘイの勤める会社でタイヘイやぼんばの上司になっており、連載のほうででてきた彼女はまるでセクハラ課長のようにタイヘイに迫ってきていました。普通のギャグ漫画ならこれだけで済ますところを、サンカクヘッド先生は単行本のおまけにて、彼女はもう高校時代のようにタイヘイやぼんばと仲良くしていないことが明らかにします。高校時代いつでも一緒にいた友達と、叶は自分から距離をとり、そうして大人になったのでした。これは今は一緒にも住んでいるうまるとタイヘイの関係にも、成長の末の別離があることを示唆しています。
そして母親の存在。過去の話は基本的にタイヘイ側から語られることが多く、3巻にてでてきた母親の存在もタイヘイがうまるによく似た母親を思うことから分かりますが、この表現と一巻に出てきた幼少期の描写をみるに、母親はうまるが大きくなる前に既に亡くなっているのではないかと考えられます。
身近な人の死。それは、家族やいつまでも続くと思っていた関係の、一番多くまた一番悲しい終わり方。それがタイヘイやうまるのまえにあったということは、彼らはそういう意味で現段階で成長しているともいえますね。
今2人の兄妹としての関係は、既に終わってしまったかもしれない関係の中で、奇跡的に残った唯一の、ゆっくり成長してもいい、モラトリアムの時間なのかもしれません。
しかしまあ、これらをまったく頭にいれず何かの用事の隙間にさらっと読めるのが『干物妹うまるちゃん』の最高なところです。一応ここまで書いたのでさらっとまとめておくと、
①うまるちゃんはYJ読者を狙い撃ちに作られたキャラクター
②不変に見える世界でゆっくりと視界を広げていくうまる
③兄妹の距離感、いつか離れてしまうかもしれないものへの憂愁
以上、三点が『干物妹うまるちゃん』の本当にすごいところだと思います。モラトリアムの世界を生きているからこそその一瞬一瞬が輝いて見える、そんなうまるの青春を皆さんもぜひ一緒に過ごしてみてください。きっと楽しいはずです。以上です。
PS,サンカクヘッド先生の前作、『厨二くんを誰か止めて!』をあわせて読むとうまるちゃんがいっそう楽しく読めると思います。特に2巻ラストの天井での攻防は必見です。是非に。
そしてこちらうまるちゃん。2巻を僕は聖典としています。
ではまた来世。