136冊目『ぬすまれた月』

 

ぬすまれた月 (レインボーえほん (3))

ぬすまれた月 (レインボーえほん (3))

 

「どこの国でも<月>はきれいなことば。」

 

盗まれた月が世界中をめぐり再び空に戻るまでのおはなし。ルナルナ。

 

和田誠さんが昔一人で描いた作品を、プラネタリウムの上映のために新たに再構成して作りあげられた絵本。 表紙の大きな手と大きな魚も、最後まで読むと新しい味わいがある。

 

「月はたくさんの伝説、たくさんの物語、たくさんの詩やうたをもっている。」

赤字で書かれる月の解説(プラネタリウムの際、映像を流しながら読まれたのだと思う)と黒字の月の物語が交互に読める構成。始めは赤字で月に浮かぶ模様や、世界の人々が月をなんと呼んでいるかというもの。興味深く読み進めると、8ページ目から物語がスタート。

月が大好きだった男は、ある日月をとってこようと決心する。ながいながいはしごを作り、遂には月の高さにまで到達する。男は持って帰った月を大切に箱へしまい、ときどき眺める毎日を送っていた。

「月は毎日かたちをかえる。男はそれをみるのがたのしかった。」

 

ある晩、男が大事そうに箱を眺めていたのをみていた泥棒が、箱ごとそれを盗んでいった。しかし中身はからっぽ。がっかりして泥棒は箱をすてる。その日は新月で、月の姿は人に見えなくなっていたのだ。

そしてページを開くと「どうして月は満ちたり欠けたりするのか」の赤字。これはプラネタリウムをみている子どもたちはわくわくがとまらないだろうなあ。めちゃくちゃ面白い仕掛け。更に物語は続き、細い三日月になった月を拾ったのは音楽の心得のある女性。三日月で竪琴をつくりすばらしい音楽を奏でる。しかしその竪琴も、時が経てば半月になり壊れてしまった。女性はヒステリーを起こして海に月を海に捨てる。そしてその次のページには「海の満ち引きと月の引力の関連性」について語るのだ。

これはすごいなあ。知識と物語のシンクロが美しい。教育絵本というのはあまり好きではないが、これだと楽しく知識が覚えられそうだ。

「ほんとうのことはまだだれにもわかっていない。」

 

そして最後は月をめぐる国同士の争いを、子どもたちが解決して月を大空へ戻す。聞くとこのお話の最初の形が出来たころ、世界は冷戦の真っ只中。ここで描かれる国の争いもそれを反映して作られたものらしい。あとがきで作者の和田誠はこう語っている。

「冷戦は過去のものになったけれど、今なおあちこちで戦争や危険な状態が続いています。本が復活するのはうれしいことですが、この物語が古くなっていないとすれば、困ったことでもあるのです。」

物語が古くなるというのは悲しいことでもあるが、戦争という人間が当たり前のように行ってきた“愚行”はなかなか古くならない。「困ったこと」という言い回しに和田さんのユーモアと辛らつさが伺える。

 

ぶっ飛んだお話ではあるもののその実像と一緒に捉えることで不思議な説得力を持ち、最後には大人の争いを子どもたちが台無しにすることで平和な世界を取り戻す。素晴らしい教育画劇だと思う。プラネタリウム、どこかで再演したりしてないのだろうか。面白かった。

 

「空をみあげよう。ほら、今夜も月が出ている。」