131冊目『白バラはどこに』

 

白バラはどこに (詩人が贈る絵本)

白バラはどこに (詩人が贈る絵本)

 

「冬がはじまろうとしていました。」

 

戦時下、ドイツに住む少女「白バラ」がみた戦争と収容所のおはなし。赤いリボンの女の子。

 

詩人、長田弘が贈る絵本シリーズ。第二次世界大戦下のドイツから、無垢な少女の命さえ奪う戦争という名の殺戮を描く。絵本として、あまりに痛烈。しかしこの本の前文にはこう書かれている。 

「甘さのみじんもない、しかし、リリカルな本当の“絵本”がここにある。」

「この絵本を読んだら、あなたの心の中に。」

絵本というのが本として一番シンプルでなければいけないのなら、酷な現実もまた読む人を貫くべきだ。衝撃は大きければ大きいほど価値がある。

 

「川の流れを見つめながら、川のほとりを散歩して、わたしはながい時間を過ごします。木の枝枝が、川を流れていきます。ときには、古いこわれたおもちゃも。わたしは川の色が好きです。川の色は空の色に似ています。」

白バラの名を持つ赤いリボンをつけた少女は、自分の街にこんなことを発見できる、感受性の豊かな女の子。しかしそんな白バラの街にも、冬の訪れとともに戦争が近づく。戦争は時に戦車、時に兵隊、時にたくさんの人を積んだトラックの形で現れる。そのトラックがどうしても気になる白バラは、陰に隠れてこっそりと眺める。

「トラックがどこへむかっているのか、わたしたちは知りませんでした。川の向こう側のどこかへゆくところなのだ、と思っていました。」

 

しかしトラックは街はずれの空き地に辿り着く。そこは電流の流れる鉄条網で囲まれた、いわゆるユダヤ人収容所だった。収容所のなかではたくさんの子どもたちがおなかを空かせて立ち尽くしている。白バラは持っていたパンを注意ぶかく、子どもたちに手渡した。

「丘の後ろへ、太陽が沈んでいくところでした。風の強い日でした。わたしは寒かったのです。」

白バラが寒さを感じるほどであれば、さらに薄着で、飢餓状態にある子どもたちはどれほど寒かったろう。少女のなかで何かが変わった瞬間だった。

その日から白バラは毎日収容所に通った。戦争は続き、街の人たちもどんどんやせていく。そしてある朝、すべての人たちが街から逃げ出した。ドイツは敗戦国になった。

「足をひきずっている兵士たち。痛みにおそわれ、水をくれとうったえる兵士たち。」

 

収容所は壊され、そこにいた人たちは殺されたのか、跡形もなく消えたのか。その死が分からない白バラは何も思うことができない。そうして白バラにも銃はつきつけられる。新しく現れた兵士たちにとって、その国にいる人はみな敵だから。

 

白バラという名の少女の顔は、読んでいる私たち読者の顔によく似ている。何も知らなかった現実に背後から撃たれるような、そんな感覚をこの本に覚える。

辛く苦しい一冊だけれど、語り口や絵に温かみを感じる瞬間もある。最後は春の訪れで終わるのもいい。今、冬がきている国にもいつか春がきて、ずっと春だったらいいのにね。うーん。少女に幸あれと祈るしか出来ない。せめて読み続けよう。

 

「春がうたっていました。」