126冊目『フロプシーのこどもたち』

 

フロプシーのこどもたち (ピーターラビットの絵本 3)

フロプシーのこどもたち (ピーターラビットの絵本 3)

 

「わたしは れたすをたべて、ねむくなったことは ありません。もっとも、わたしは、うさぎではありませんけれどね。」

 

ピーターラビットにでてくるベンジャミンが、小さな六つ子の子どもたちに振り回されるおはなし。いわゆる“後日談”みたいなものか。

 

遂にピーターラビットシリーズを読んでみた。けども、やっぱりこの物語どこか変だ。英国流の茶目っ気というか、どこか突き放した笑いが全編を支配している。

 

語り部らしき人が初めにいうのが前述の文章。続いてこんなこともいう。

「わたしは、このこどもたちのなまえをいちいちおぼえていませんが、みんなはいつも この小うさぎたちを、『フロプシーのとこの こどもたち』といっていました。」

私はこの子達の名前を知りませんが…といちいちいわないと紹介もできないこの感じ、これが英国流だというならやっぱりちょっと感じ悪い。しかし、その皮肉屋っぽい文章が読んでいて面白いのも事実で、「ちょいちょい(ちょっとずつという意味)」なんていう現代語が訳に使われているのも面白い。

 

こどもたちはいつもおなかを空かせていて、人間の老夫婦であるマクレガーさんのところのごみ捨て場にいっては、捨てられているレタスを食べたりしている。その日もこどもたちはレタスを食べて、眠くなったのでごみ捨て場で寝ているところをマクレガーさんに捕まえられる。マクレガーさんはこれまたひどい人で、捕まえた子うさぎを袋につめて売りさばこうとしているのです。

「子うさぎたちは、ねどこでおかあさんに ねがえりをうたせてもらうゆめをみながら、ちょっと身うごきしましたが、目はさましませんでした。」

そこをとおりかかったのがピーターラビットの友人でもあるネズミのトマシナ・チュウチュウ。めちゃくちゃいい名前。

「トマシナ・チュウチュウは、なかなかうまいことを おもいつくねずみで、ふくろのすみをかじって あなをあけてくれました。」

 

その後マクレガー夫妻の夫婦喧嘩をなぜか見守る子どもたちとうさぎという、なんとまあ、一言でいえば性格が悪い展開になる。そのシニカルさがクセになって、これほどまでに読まれる絵本になっているのだなあ。イラストが可愛いのはもちろんのこと、英国的動物話もなかなか面白かった。他も読む。

 

「そこで、ベンジャミンとフロプシーは、もう そろそろ いえにかえったほうがいいとおもいました。」