121冊目『にんじんケーキ』

 

にんじんケーキ (児童図書館・絵本の部屋)

にんじんケーキ (児童図書館・絵本の部屋)

 

「にひきのうさぎがけっこんしたとき、これほどにあいのふうふは、うさぎのくにじゅうさがしてもみつからないだろう、といわれたものでした。」

 

二匹の新婚うさぎが互いの会話の糸口を探すおはなし。喋りすぎてもいけないし、黙っていてもいけない。

 

結婚式にでてくる「キャベツのシチューやカブのパイ、ガラスのおおいをかぶせた、やわらかいレタス」がとてもおいしそうだったので読んだ。おいしいけれどおいしいだけではないお話。

「わかいふたりがたびだつとき、はなよめのおかあさんは、むすめをだいて、いいました。『だんなさんをあいし、そんけいする、やさしいおくさんにおなり』

 はなむこのおかあさんは、むすこをだいて、いいました。『おくさんをあいし、いたわっておあげ。かなしませてはいけないよ』」

 

縁あって結婚する二人であったとしても、所詮は他人。相手のことを知ろうと思わなければ何も知ることはできない。 二人は新婚生活を始めて会話を試みてみるも、なかなかどうして噛み合わない。

「『それじゃあ、きょう、ぼくがまちへいったときのことをはなそう』

 『あら、そう』おくさんはいいました。

 『ぼくは、まず、うちのドアをなおしてもらいに、だいくのところへいった』

 『あら、そう』

 『それから、このチョッキを買った』

 『あら、そう』

 『あら、そう、しかいえないのかい』」

 

奥さんは少し抜けているところがあって、だんなとの会話になんと返せばいいのかわからない。機械のような奥さんの口調に苛立っただんなは、これこれこう返せばいいんだよ、と全ての返答を教える。しかし奥さんは教えられたものを繰り返すことしかできなくなってしまう。

 

自分が、人に教えたり教えられたりという行為に嫌悪感を覚えるのが主にこの感覚だ。教える側に正義があれば、一方的に正しさを主張できる。それが是か非かは置いておいて、この夫婦のなかでそれはよろしくなかった。はじめは聞き入れていた奥さんも、また優しく教えていただんなもだんだんギスギスしていて、遂には、

「なにをばかなこといってるんだ。きみはひどいパンやね、と、おこるべきなんだぞ!」

と奥さんを怒鳴りつけてしまう。

 

しかしそこで強いのが奥さん。木の棒を持ち、

「ひどいのは、あなただわ」

とだんなを叩き始める。読み始めには想像もできなかった修羅場だ。

「『おい、きみ、なにをするんだい』

 『ああいえ、こういえって、おせっきょうばっかり。わたしだって、あなたがおもってるほどばかじゃないのに』」

こうなると何をいったらいいのか分からなくなるのはだんなのほうで、あれ、あれ、とだけいって逃げ惑う。そんなだんなにまた腹が立ち、

「あれ、あれしかいえないの?」と奥さん。

「どういえばいいんだい」

 

「きょういちにち、わたしがなにをしていたか、きいてちょうだい。わたしがうちきでも、ばかなことをしても、がまんしてほしいのよ」

 

奥さんは泣いていた。自分が愛しているはずの人に、自分を分かってもらえなかったのが、悲しくて仕方がなかった。

「ぼくは、しゃべるのにいそがしくて、きみのことをかんがえなかったんだ」

 

奥さんとだんなは互いを理解しあい、だんなは奥さんにキスを、奥さんはだんなさんにだきついた。そんな新婚夫婦のお話。表紙のうさぎからはほとんど詐欺に近い、男女の痴話喧嘩の話なのだけれど、『ゴーン・ガール』や『ブルーバレンタイン』を思わせる、“夫婦だって全てを分かり合えるわけではない”という話でとても面白かった。最後に同じにんじんケーキを食べる二人は幸せそうで、そこには言葉なんてものはいらなかった。うっかりいい本。うっかり?

「ときには、だまっているのもいいものよ」

 

「なにも、はなしはしませんでした。」