117冊目『ひとつ目巨人のモノ』

 

ひとつ目巨人のモノ

ひとつ目巨人のモノ

 

「モノには、ほかの巨人たちとちがって、顔のまんなかにひとつだけしか 目がありませんでした。でもそれは、きれいな目、とっても大きな目でした。」

 

一つ目巨人のモノを悲しませないために、もう一つの目をプレゼントするおはなし。でも一つ目であること自体は悲しいことではない。

 

1998年の本で図書館から借りてきたものなのに、ぴかぴかの新品のようで驚いた。そして内容もとても綺麗で美しい作品。あまり汚さないようにして早く返そう。

 

「ひとつ目巨人のモノは、とても背が高いんです。モノは、背丈が6メートルもあります。体重だって、ゆうに3トンはあるんです。」

モノはごく普通の巨人。普通の巨人という言葉に違和感を覚えなくないが至って普通の巨人。でも目が一つしかない。とても綺麗で大きな目が一つ。

「ひとつ目巨人のモノは、みんなと同じように笑います。」

「モノはみんなと同じように、人をビックリさせるのが大好き。」

綺麗な藁半紙のような背景に、四角く区切られた窓からモノがこちらを見ている。それはまるで切手のようで、モノの表情一つ一つが誰かに届けるための手紙のよう。

「モノはみんなと同じように、日曜日にはおめかしをして、ぼうしだってかぶります。」

 

みんなとはどこにいる存在なのか考える。普通の巨人として、他にいる巨人なのか。それとも、今この文章を読んでいる読者のみんななのか。個人的には後者がしっくりくるし、後半、みんながモノのためにしてやれることはなんだろうという話にも繋がる。

「でも、ひとつ目巨人のモノが泣くそのすがたは、みんなと全然違っています。

 モノが流すなみだは、ふつうのなみだではありません。そのなみだのひとしずくは、悲しみのために重さが1トンもあるのです。」

体重3トンのモノが1トンもの水分を失って大丈夫なのか、というのは置いておく(“もの”が係ってしまったのも)。モノの悲しさの原因は、自分ひとりがウィンクをできないから。

「なぜって、ウィンクをするのには、ふたつの目がいるんです。だから、ふたつの目をもっているぼくたちは、モノがかわいそうでなりません。」

ずいぶんな物言いだな、と思いながらも、ぼくたち=みんなはモノが幸せになる方法を考える。しかしどの発想も役に立たず、モノはさらに涙を流す。

「だれも、モノの大きな悲しみをわかちあえなかったのです。」

 

そこで“ぼくたち”は、モノがいつもいる防波堤の先っぽに灯台を建てた。

「てっぺんに大きな目を持った大きな灯台は、一晩中ピカピカと光を放ち、大きなウィンクをくりかえしました。」

「いまでは、巨人のモノはとってもしあわせです。そのしあわせの重さは、すくなくとも10トン以上はあるでしょう。」 

大きさで測ることができないものは結構あるけれど、幸せも悲しみも数値にしてみるとこんなものだ。“ぼくたち”の存在が引っかかるけれど、誰かにあげられる優しさの本。

モノはどしんどしんと飛び跳ねる。体全体をつかって、両の眼を使って喜びを表現する。

 

「ほかの巨人たちと同じようにね。」