100冊目『ちいちゃな女の子のうた“わたしは生きてるさくらんぼ”』

 

わたしは生きてるさくらんぼ―ちいちゃな女の子のうた

わたしは生きてるさくらんぼ―ちいちゃな女の子のうた

 

「わたしは 生きてる さくらんぼ と ちいちゃな女の子が うたいます。

 まいあさ わたしは あたらしいものになるのよ。」

 

ちいちゃな女の子の日々の成長と変化を、果物と色でたとえた詩のおはなし。

 

開幕1ページで小さな女の子の裸体が目に入るのでぎょっとした。女の子は裸でだって女の子だ。

「まいあさ わたしは あたらしいものになるのよ。」

といいながらさくらんぼをほおばる。しかし次のページでは女の子はりんごを持ち、

「わたしは リンゴ わたしは プラム

 わたし ハロウィンのおまつりで 男の子たちが バンバン おおさわぎするみたいに はしゃいでるの。」

とこちらに笑みを向ける。その姿は、先ほどさくらんぼを食べていた少女よりも少し大人びてみえた。 はしゃいでいるのは心。

 

ここでちょっと面白かったのが、「ハロウィン」という単語に脚注が入っていたところ。本が出たのが1981年のことだから、そのときには日本で余りハロウィンが定着していなかったのだろう。脚注で時代感を感じられるのはなかなかいい。

 

「わたしは なりたいとおもったら いつでも あたらしいなにかに なれるのよ。

 とてもとしとった 動物園の魔法使いとか。わたし いつでも おもったとき すきな だれかに なってしまうの。」

自然を歩く少女は色んなものを好きになる。だから、

「そして ときどき わたしは いろんなもの ぜんぶになりたい なんておもうの。」

と大きな夢を持つ。それは夢というか、願望に近いもので、少女のなかではそれは常に叶っている。手に触れる全てのものに少女はなるし、毎日生まれ変わる。

 

そして少女は歌う。なぜかというと少女は歌うものだからだ。

「それ ほんと それ うそよ。わたしは 知ってる しってる

 ほんとは うそよって。」

「あ まちがってるかも わたしが うたうと まちがえるときもあるの」

 

少女は大人たちを目の前にしてもうたう。大人も昔は少女や少年であったはずなのに、大人が歌うことはない詩をうたう。

「なぜって おとなになると みんな こどものときのこと わすれちゃうでしょ。

 おとなたちは わたしだって いつか みんなとおなじに わすれちゃうと おもっているのよ。

 おとなたちは まちがってるの。

 おとなたちは まちがってるの。

 わたしは 知ってるわ 知ってるわ。だから そう わたしは うたうのよ。」

少女は少女の感性でこのあとさまざまな色に移り変わる。赤、金、緑、青。季節が変わっていくように、少女は変化し、大人になっていく。でも全てを忘れるわけではない。永遠に少女ではいられないけれど、少女だった頃は永遠だ。

 

昔読んでいた詩がこんなタイプのものばかりだったので少し懐かしくなった。自分の少女美について考える。そんなきっかけになる作品が、絵本100冊目でよかった。こんなのめちゃくちゃ好きです。最高です。

 

「わたしは いつも わたしでしょう。」