93冊目『チキンスープ・ライスいり』

 

チキンスープ・ライスいりー12のつきのほんー

チキンスープ・ライスいりー12のつきのほんー

 

「JANUARYは 1がつ。すてきなんだ、このつきは。」

 

毎月の幸せとともにある、チキンスープ・ライスいりのおはなし。幻覚かな。

 

 チキンスープ・ライスいりという、日本人にはあまりなじみがない食べ物を偏愛しているのはよく分かる。よく分かるが、もはや愛が重すぎて病気を疑うレベル。

 

例えば、4月は「たびに いいんだ、このつきは。」といい、スペインやボンベイにいって、かんがえることというと常にチキンスープライスいり。

「ああ たべたいと 1かい ああ たべたいと 2かい

 ためいきがでるぞ、チキンスープ・ライスいり。」

 

5月は鳥になって自分の巣にチキンスープライスいりを作り丹念に混ぜる。

6月は枯れかかったバラに元気になれとチキンスープライスいりをぶっ掛ける。

8月にはついにチキンスープライスいりを煮る鍋に自分がなってしまう。なってしまう?なにいってるんだこの人。

 

しかしそういう話なのだから仕方がない。チキンスープライスいりはとても美味しくて、彼にとってはまさしく生きる希望そのものなのだ。なんだってチキンスープライスいりに見えるし、チキンスープライスいりのためなら何だってできる。

 

「NOVEMBERは 11がつ。こがらしが ふく つきだ。

 ぼくはおびれで みずを かき、ぷーっと スープをふきあげる。

 くじらなんだ ぼくは!」

くじらなんだぼくは!なんとみずみすしい感性だろう。作者のモーリス・センダックはこれを執筆した段階で既に超有名作家でおじいさんだというのに、この子どもみたいな感動を、文章や絵に詰め込めるのがちょっと信じられない。

好きなものがある日々は、毎月が幸福の連続だ。その愛がたとえ常軌を逸していたとしても、愛が純粋であるならばそれは光輝いて見える。そうまるでチキンスープライスいりのように。なんでチキンスープライスいりを食べていないんですか?今夜はチキンスープライスいり祭りだ。チキンスープ・ライスいり。チキンスープ・ライスいりなんですよ。

 

「ぼくが 12かい いったこと、よく わかるよね、だれだって。

 はる なつ あき ふゆ いつだって、おししいものは

 そう、もちろん、チキンスープ・ライスいり!」