91冊目『やぎのしずかのしんみりとしたいちにち』
「ナマズの うたは、なにを うたっているのか よく わかりません。あぶくが ブクブク うかんでくるだけでした。」
ヤギのしずかが死んでしまったセミを見て、しんみりするとはどういうことかを考えるおはなし。脳内BGMはミスチルのひびき。
田島さんの本がおそらく好きなのでたくさん読んでいる。これは田島さんの最新作にして、ライフワークといってもいい『やぎのしずか』シリーズの1冊。
やぎのしずかは、元々先生がおさない頃に飼っていたやぎのことらしい。
「もう40年も前のことですが、しずかはぼくの心の中にいまでも生きていて、こうしてまたあたらしい絵本に登場してくれました。」
しずかは今まで子どもを生んだり子どもと別れたり、能天気に生きているようにみえてとんでもない目にあったりしてきた。そんなしずかにも考え事ができた。それが、「しんみりすることとはなんぞや」だ。
ナマズはしんみりする歌を歌ってあげようといい歌う。でもしずかには、それがなにをいっているものなのかさっぱり分からない。そんなしずかの前で、先ほどまで陽気に歌っていたセミが歌をやめて動かなくなる。セミはその命を終えた。
死んでしまったセミは何も答えない。セミの死体を食べようと、草陰に運んでいくアリたちも何も答えない。みな、ただ生きているだけでそこに何かがあるわけでもないのだ。それでもしずかはじっと観察を続け、茂みの中にとても綺麗な朝露を見つけた。
しずかはまたも朝露に尋ねる。
「あなたたちは こんなに きれいなのに、どうして、だれにも きづかれないで キラキラしてるの?」
朝露たちは、黙ってキラキラしているだけ。
「あさつゆたちは、だれにも みられたくないのかしら?
あのセミは、ずうっと うたわないのかしら?」
ともだちのガマガエルくんに朝露のこと告げてみても、
「わしは まだ あさごはんも たべておらん。」
と素っ気ない返事。コジュケイにセミのことを告げると、
「セミ、たべたい」「どこ」「どこなの?」
とあんまりな返答。そこにある自然に、朝露がきらきらしていることもセミが死んだことも等しく“なんでもないこと”になる。「しんみり」にはほど遠い感覚。
しずかは考えながら、草を食み続ける。そうすると目の前に綺麗な花が、今にも咲こうと蕾を膨らましている。そこでしずかは、「しんみり」も「きれい」もなく、
「ぱくり、とたべてしまいました。」。
「しずかは、さくことが できなくなった はなのことを おもいだしました。
それから、これから ずうっと なかない セミのこと、
だれにも みられないのに ならんで キラキラしていた あさつゆのことを おもいました。そして、しみじみと なきました。」
しずかは考えているうちに眠ってしまう。そのしんみりとした一日を自分の中に収めよう深く深く眠る。
「やさしい かぜが、ねむっている しずかの うえを ふきわたっていきました。」
“しんみり”の感情は、ただ流れる自然の前ではきっと「誰にもみられずキラキラしている朝露」のようなもので、しずかがやったことで誰かを“しんみり”させることもあるのかもしれない。でも、考え続けなくてはならない。その感情がなくならないように。“無意味だ”と思いながらも、しんみりすることを忘れてはいけない。そのために生き物は眠るのだと思っている。
夕方になって起きたしずかは、もう自分が何を考えていたのか思い出せなかった。ただみんなで(げんきになるかも)の歌を歌った。いつか、なまずが何をいっていたのかも分かる日がくるかもしれない。その日まで時々、今日みたいなしんみりとした一日をおくる。
「ちょうしはずれで、げんきな うたが、かぜに のって とおくまで ながれていきました。」