89冊目『いろいろあってもあるきつづける』

 

いろいろあってもあるきつづける

いろいろあってもあるきつづける

 

「ひとりぼっちの バッタちゃん。きみも さびしい 心かい。」

 

寂しがりやの“ぼく”が、歩く意味をみつけるまでのおはなし。どういう形状なんだ、“ぼく”。

 

「ぼくは あるく。てこてこ あるく。大地をふみしめ、ズトズトあるく。」

“ぼく”は歩く道すがら。一人で歩いているバッタを見つけ、同情し遊びの誘いをする。しかし、バッタは一人でも、“ぼく”のように寂しくはない。

「どういたしまして。ぼくは こんなに たのしい まいにち。おどって わらって あそんで にぎやか。」

バッタには普段たくさんの友だちがいるらしい。“ぼく”と違って、たまたま一人だっただけだ。ここで描かれるたくさんの友達なのだけれど、作者の田島さんがずいぶん抽象的というか芸術的というか、とにかく一目ではどんな生き物かも分からない絵で描いているのでどんな友達かは分からない。正しくは、魚は分かったが他が分からない。しかしたくさんいることだけは分かる。それは“ぼく”と違った幸せで、“ぼく”はずいぶん見当違いの同情をしてしまったようだ。

 

「なさけないのは ぼくだけか。ぼくには なにも いいことがない。かなしい 思い出 ばっかりさ。」

“ぼく”は思い出す。「とおくへ いった 恋。きえて いく 愛。」

矢印は恋か、たくさんの生き物がその恋を心のどこかに納めているが、“ぼく”の元には届いていない。

 

続いて“ぼく”は石ころに出会う。退屈してないかい、と聞く“ぼく”に、

「まいにち たのしいよ。のろまな うしが オレをふんづけていくし、ほら、風に のって 落ち葉。間抜けな虫。バカな 草が はえるし、ねも はってくる。むかしの こと 思い出したり、けっこう いそがしい。あんたも すこし やすんでいけよ。」

と答える石。“ぼく”はなんだか、口の悪い石のことを好きになった。

 

石のいうとおり休んでいるとそこには鳥やカボチャが流れるように過ぎる。

「あたしは 夢の 中を飛ぶ 鳥。あなたの 心は 空を とばないのかい。」

「おらは カボチャ。春には 小さな 種だった。今は ちゃんと 空を飛んでいる」

空飛ぶカボチャも自分の意思を持って、飛んだり歩き続けている。それは流れにのるということでもあって、すばらしい流れには魚も元気に泳いでいる。

「トンボ沼の 絵描きさん。絵は だれを げんきにするんだい。」

絵は誰を元気にするんだろうか。少なくとも絵描きは誰を元気にしようとも思わず絵を描いている。それが、自分が歩き続ける理由だからだ。

 

“ぼく”は気づいた。

「さがそう、さがそう、なくした 夢を。

 さがそう、さがそう、わすれた 夢を。きっと どこかに あるはずだ。」

寂しがりの“ぼく”はようやく、歩き続ける理由をみつけた。ぼくを探しに。いいことに出会っても、または出会わなくてもいいんだ。理由さえあれば歩き続ける。

 

哲学的なテーマと絵の抽象性がマッチしていて、作者の作品では間違いなく一番のお気に入りとなった。細胞のような生き物たちは、それぞれどんなことがあっても歩き続ける。流れに乗ることは悪ではないと思う。その流れの意味さえ考えていれば。生きる。

 

「いろいろ あっても あるき つづける。」