70冊目『ぼくはきみできみはぼく』

 

ぼくはきみで きみはぼく

ぼくはきみで きみはぼく

 

「まいごのうまは、おんなのこにみつけてもらう ゆめを、みているかもしれない」

 

詩集のような聖書のような、子どもたちが語る愛や夢について集めたおはなし。

 

センダックはずっと興味があったのだけれど、この新刊で初めて読んでみた。アメリカではすでにベストセラーで作者ももうなくなっている本を、今のタイミングで出したのは何か理由があるんだろうか。不思議なところのたくさんある本だけれど、心の内に残しておきたい1冊になった。

 

「あいっていうのは ハガキを だすこと

 ほかの ひとに だすよりも たくさんーー

 あいしてたら しばふに おしたおすことが できるし

 おしたおされても いたくないのーー」

子ども、と言っておきながらずいぶん思い切ったことを言うなあ、と思ったけれど、この一文が愛の交換を表現している。要は多少思い切った行動をとっても、それを許したり喜んだりするのが愛で、それはコミュニケーションの量にも繋がってくることなんだな。ある程度深入りしても嫌がられない、という前提がないとたくさんのハガキを出すことも出来ない。

繋がりがあるわけではないのに見開きで思わずぐっときてしまったのは、丘の上でうつくしい鳩の話を夢想する少年の絵。

「いい おひさまだな いい いえだな いい かわだな

 ぼくがいるおかも きこえている とりのうたも 

 ぼくの あたまのなかの おはなしも」 

この本には“2人”でいることで夢や希望を忘れない子どもたちがよく出てくるのに、この子だけは1人で自分の頭のなかのお話を肯定している。その強さが一番好きだ。最後に母に抱かれ安心している彼の姿も。もちろんすべてはお話のなか。

 

愛の交換は二人でしか成り立たないが、自分のなかの希望を強く保つのは一人でも出来る。だから『ぼくはきみで きみはぼく』が、ちょうど良いバランスで存在している。

愛は、「ぼくのなまえを あげるよ。ぼくは きみのをもらうから」。

希望は、「きみのパーティに いくよ、もし ケーキが でなくてもね」。

愛は、「きみがぼくの つめたいあしのうえにすわって ぼくがきみの つめたいあしのうえにすわって きみがぼくの つめたいあしのうえにすわって……」。

 

弱さも強さもなべて等しく純粋ならば綺麗だ。綺麗な1冊。そして少しずるい1冊でもある。

 

「もし そうしたいと おもえば、ともだちに あげることも できる」