61冊目『あかちゃんがわらうから』

 

あかちゃんがわらうから

あかちゃんがわらうから

 

「わたしが うれしいとき あかちゃんが わらう

 わたしが かなしいとき あかちゃんがわらう」 

 

母親のためにつくられた、あかちゃんという光を抱きしめるおはなし。

 

とても大切な1冊。母親にはこの人生でなることはないのに、もしかして自分のために作られたのではないかと思ってしまった。まだまだ絵本が面白くてやになる。

 

「かあさんは よわい ときどきすごく よわくなる」

「世界は どしゃぶりのように感じられ 未来は どこまでも はいいろの雲で いっぱいでーー」

生まれた瞬間の感動は、それはもう自分の想像も出来ないほど大きなものだと思う。けれどその感動が大きければ大きいほど、冷めたときの「心をなくしてしまったような感覚」は怖い。何も母さんは生まれたときから母さんだったのではない。それまで自分ひとりを守るのにも精一杯の、普通の人間で、それが急に“母”という責任重大な立場につき、時として心が冷めてしまうこともあるのだろう。

子どもの未来はどうだろう。このまま育てても希望などないのではないか。数多の心配事で世界がどしゃぶりになったとき、赤ちゃんが手のなかで笑っている。そして、

「ぶっぁっくしょん!!!」

と大きなくしゃみ。その瞬間赤ちゃんをみる。笑っている子どもは、ひょっとしてこんなことをいっているのではないか。

「これから僕たちが生きていく世界を ひどいと 決め付けないでよ!」

「ぼくらを弱いと決め付けないでよ!」

母親の責務から、子どもたちの未来を勝手に暗いものとして想像していないか。子どもはいつだって今を生きて、今きらきらした笑みをあなたに向けているのに。

 

作中で子どもたちがこんな言葉を言う。

「どしゃぶりのなかで うたおう!」

「がれきをけとばし おどろう!」

自分はそれほど頭がよくないし、見聞が広いわけではないけれど、この言葉が、希望と呼ばれるものの全てだと思った。どしゃぶりのなかでも人は歌える。がれきのなかで踊れる。親や世間が勝手に決める上限を、子どもはさくっと越えることが出来る。そのことに気づいたとき、「あたらしい空の幕があがり」、子どもたちの笑う声が聞こえる。

 

母は子どもに語りかけた。

「ねえねえ なんにもないのに どうして わらってるの?」

子どもは手を伸ばし、こういった。

「うれしいこと あるよ ここに ぜんぶ あるよ ここに ぜんぶ!」

 

親子という関係を語りながらも、希望の本質を問う素晴らしい絵本だと思う。

文章も温かければそこに至るまでの絵も素晴らしい。去年出たばかりということで、これからも色んな人に読まれるべき本。さしあたっては自分が万が一結婚したとき、奥さんになってくれる人に読んでもらいたい。笑ってくれると嬉しい。

 

「ほら ここに わたしを だきしめてくれる ちいさな手」