60冊目『ビロードのうさぎ』

 

ビロードのうさぎ

ビロードのうさぎ

 

「さいしょ、この ビロードでできた おもちゃのうさぎは たいへん りっぱでした。」 

 

おもちゃのうさぎが如何にして“ほんもの”になったか、またはほんものとはなにかというおはなし。色んなうさぎがいる。

 

酒井駒子さんの絵目当てに読んだ。子どもに愛され続けることによって本物になるおもちゃの話は、元の原作が第二次世界大戦以前に作られたものとは思えない、現代にも通ずる神話のような話だ。

本物とは一体何なのか。「ネジで からだが うごいたりすること?」ではなく、「ただ あそぶだけではなく、こころから たいせつに だいじにおもわれた おもちゃは ほんとうのものになる。たとえ そのころには ふるくなって ボロボロになっていたとしてもね。」だ。長く付き合い寄り添うことによって本物になっていく、物であれ、人であれそれは変わらないと思う。

ビロードのうさぎにはネジもついていないので全く動けない。それでも、病気になった坊やを心配して、「だれもいなくなると 坊やの耳元に すりよって、たのしいこと、わくわくすること、花が咲き、チョウチョのとぶ にわにでて、木苺のしげみのなかであそぶ あのすばらしい日々のことを 話し続けました。」ということが出来る。ボロボロのそのうさぎは、その瞬間確かに“ほんもの”のうさぎになった。

 

しかし他のおもちゃ(はじめ急にいなくなった犬)と同じように、うさぎの“ほんもの”としての生活は突然終わる。

「あんなに かわいがられて、ほんとうの うさぎにもなったのに、こんなふうに おわりがくるなんて……。」

この後の一文が、結果的にうさぎをまた“ほんもの”に変えてくれるきっかけであり、この本で一番美しい文章だと思います。

酒井さんの絵でいうと他にもお気に入りの作品が何冊もあるのだけれど、話がトップクラスに好き。今度実家に帰ったとき、昔大事にしていたピカチュウのぬいぐるみがあったはずなので、そいつを家に持っていこうと思う。

 

「どうしてかしら あの うさぎ。そっくりだよ、病気のときになくしてしまった ぼくのあの ふるいうさぎに……」