11冊目『悪いことをして罰があたった子どもたちの話』

 

悪いことをして罰があたった子どもたちの話

悪いことをして罰があたった子どもたちの話

 

「あなたもわたしもだれだって あさからばんまでほぼずっと なにかしてますわるいこと。 もしほんとうにこうならば あなたはとっくにしんでます」

 

ゴーリー2冊目は題のとおり、悪いことをして罰、というよりほぼほぼ死んだ子どもたちのおはなし。

 

こういう言い方が正しいのかは分からないけど、めちゃくちゃ面白い。この本は文章は違う人で、作家のヒレア・ベロックという方が子どもたちへの訓話として残したものにゴーリーが絵をつけた、という本なのだけれど、お話の持つ残虐性を、四角くくくったイラストのなかで更に激しくさせている。

7篇のお話中死んだ子どもたちは数知れないのに、誰もその死を悔やもうとしない。悪いことをしたのだから死んで当然だ、といわんばかりに次へ次へとお話は進んでいく。面白いのが<フランクリン・ハイド、泥遊びをして伯父さんに懲らしめられた子の話>では、ハイド自身は死んでいないのに最後誰かが砂に埋められて殺されている。元の話では懲らしめられたところで終わっているのに更に子どもは誰かの悪いことのせいで死ぬ。他にも<アルジャーノン、弾の入った銃で遊んで妹に当たりはしなかったけれど父親にしかられた子の話>では、妹に当たらなかった銃弾は妹の抱えるぬいぐるみ(あるいは赤ん坊)を打ち抜いて壷に沈めているし、<ヘンリー・キング、紐を噛んで苦しみにあえぎ幼くして世を去った子の話>では四角く区切られた“訓話”を紐が飛び出して更に新たな犠牲者を今か今かと待っている。

言葉にはしていない物語を越えたところに更なる死がある。まるで上質なミステリーのように絵本は進み、最後は人の死の元に子どもたちがいる。あるいは表紙にも描かれる“大人の指”が子どもたちを嗜めるように動いている。全てのモチーフに意味があって、ライオンのごとく子どもたちを飲み込む絵本。こんな怖い訓話があってたまるか。

 

「こうなったのもむりはない。言うこときかぬ子だったもの!」

「乳母の手はなすな、しっかりつなげ。話せば悲惨な運命がまつ。」

そう言っているところのイラストではもう四角の枠を超えて死にいざなわれる子どもが描かれている。この本を読めば誰も悪いことをしなくなるし、悪いことはもうみんな生きている限りしつづけてつまり。という絶望だ。